「品質」をめぐる葛藤 ~織り編~





 「織り上がったわよ。」

 

織り部門の若きリーダー、ジェーン。

織り上がりほやほやのデザインは、きれいに仕上がっているようでした。ところがパターンをチェックしていると、見つけてしまったのです。織りのミス。

 

本来なら経糸2本に対して横糸2本が織られていくところ、1か所だけ経糸が4本でセッティングされていました。となると「1か所」の意味は、単にその一部分ということではなく、経糸が1mあれば、その分ずーっと4本状態となり、パッと見は目立たないものの、商品としてはOKを出せないことになります。

 

「ジェーン、このままでは使えないの。申し訳ないけれど、織り直してもらえるかな?」

 

すると彼女は「こんな小さなミスでやり直してたら織れないわよ!これくらいのこと妥協してよ!」と、ちゃぶ台があったらひっくり返していたなと思うほど、不満をあらわにしました。

 

彼女の不満も分かるんです。

幅50㎝で、1m分織ろうと思ったら、綜絖(そうこう)という細いひもの穴に経糸を通し、筬(おさ)と呼ばれる更なる細い金属の柵のような器具にもくぐらせ、ピンっと張って全体のテンションを合わせるという、総じて6時間かかる作業なのです。

 

f:id:amberhour:20141017125912p:plain

(手前の細かい柵のようものが筬(おさ)、奥に並ぶひもが綜絖(そうこう)

 

せっかく作ったのに、この作業をもう一度行うということは、織り終わったばかりのジェーンには想像したくないこと。

 

とはいえ、ケニアでは「こんな小さな」のミスも、日本では致命的だったりします。品質が良いとは、ミスがないことが当たり前で、さらに使う人が喜べるもの。それができないと、生産者である私たちも収入を得られない、キビシイ現実があるわけです。

 

「こんな小さなミス」ではないことを、どう伝えていけばよいのか…。

 

「心づかいだね。商品に愛情が入るかどうか、それが品質でしょう。」

 

後ろから優しい声。

日本からボランティアで来てくださっている革職人、小椋さんがそう言いました。

 

心づかい。

 

技術だけで単にミスなく織ることが品質を決めるのではなく、使い手のことを思う心がそこにあること。ココロが手に伝わり、それがモノになって見えるようになる。つまり、作り手の在り方そのもの。これが品質の本当の意味なのだと身をもって理解しました。

 

f:id:amberhour:20141017130451p:plain

経糸がサイザルそのものの色、横糸は草木染の茶色で)

 

その後ジェーンはミスを発見すると、自らサイザルを解き、ココロをつかって織っていくようになりました。

 

が、この「品質」をめぐっての価値観の違いが随所で勃発することになろうとは、私はその時知る由もありませんでした。      (つづく)

 

(生産担当:マリナ)