「品質」をめぐる葛藤 ~続・加工編 二度あることは三度どころじゃない~





靴職人のジョセフは、その日も相変わらず職人らしく、暗い部屋で黙々と靴を作っていました。前回のマット加工に続き、今度はブックカバーの加工をお願いすべく、彼のもとを再訪。その場で一緒に作ってみると、慣れた手つきできれいに仕上げてくれました。(ジョセフのことはこちら

 

安心した私たちは、必要な材料を預け、3つほど試作を依頼。

マット加工の失敗で、縫い目の処理については細かく伝え、やり直しもしてもらい、そしてそれを完璧にこなしてくれたことから、ことは順調に進んでいるように思えました。

 

ところが、でき上がりの連絡を受けて彼のもとを訪ねると…。

 

またかい!

 

縫い目が縁部分から突き出していたり、表はきれいだけど裏は大胆すぎるほどに曲がっていたり。

 

二度あることは三度…どころではないじゃないか!

 

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(ステッチがはみ出て糸が抜けてしまった失敗作)

 

前回と同じミス。

あんなに細かく注意してほしい点を伝えて、やり直しまでしてもらって、伝わっているんだと思っていたのに…。

 

「分かった」という彼の言葉はウソなのでしょうか。

なぜやり直しをお願いしたか、こちらの意図が伝わっていなかったのでしょうか。

その結果、ただただやり直しを押し付けていただけだったのでしょうか。

 

「これでは使えないのか?」

 

ボソッとジョセフ。

いや、使えるんです。ただ使うには、別に問題ないんです。

縫い目がズレていようと、表しかきれいでなくても、ブックカバーとしての機能は果たしているんです。

 

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(見た目だけでは失敗とは分からない。ブックカバーとしての機能はOK)

 

でも日本では、使える以上のもの、それはデザイン性であったり、処理のていねいさであったり、バランスの良さであったりが、機能同様に重要視されます。

その市場にいる限り、そしてそれが「商品」という性質である以上は、クリアせねばならない基準は高く、「まっすぐ」とか「きれいに」とただ翻訳しただけでは、長年継がれてきた日本の美意識が意味するコトは伝わらない。

ああ、コトバって、何て不便なのでしょう!

 

これは一筋縄ではいかぬ、大変なやりとり。

でもこうしてお互い真剣に向き合うしか術がない。

私たちの自社製品に対する姿勢、そして仕事を共にする仲間としての接し方。

コトバがほんの少ししか意味をなさないのならば、もうこれは、生身の人間の一挙手一投足でしか語れない、生き様のモンダイ。

 

三度目の正直に期待しよう。

そう思いつつも、ミシンもろくに使えない私がチェックばかりすることに、時々切なくなりながら、品質の向上に取り組む日々であります。

 

(生産担当:マリナ)