2015年、冒険は続く
ケニア・マチャコスの中心街からバイクタクシーで約10分。
そこは、織り機でブックカバーを作るのに必要な、サイザル繊維を撚って糸状にする作業を行う女性グループが暮らす地域でした。普段は素材担当スタッフが村々を訪問するのですが、この日は私が行くことに。
毎日工房の私にとっては、女性たちと直接会える貴重な機会。織り子の一人、ヴィクトリアの案内で、彼女の暮らす地域で活動するグループを訪問することになりました。
まるでハーレーにでも乗った気分で、爽快と風を切りながら、道をはずれた起伏の激しい山道を、奥へ奥へと進んでいきました。
乾燥して白くなった土、崖を切り崩したような山肌に生えるサイザル、今にも落ちてきそうな大きな岩。
青空をキャンバスにしたその光景は、まるでインディージョーンズのワンシーン。
ティーティリッティー、ティーティティー♪
都会育ちの私は、もうワクワクが止まりませんでした。
しかし乾燥地域に直射日光。グループ訪問は次から次へと歩いて移動し、山の中腹にあるグループへたどり着くには軽い山登り。さらさらの土に足をとられ、知らぬ間に脱水症状気味になり、すぐに体力を奪われます。
ヴィクトリアは家に招き入れてくれ、チャイと卵焼きを用意してくれました。ニワトリと犬が迎えてくれるその家には、電気も水もありません。
この山を毎日通勤しているのかと思うと、農村部に暮らす人々の生活の大変さを感じざるを得ませんでした。インディージョーンズなんて言ってごめんなさい…。
しかし、これが「苦労」なのかどうかは、なんの不便もない環境で育った私の感覚であり、ここが人生の現場である彼女たちにとっては、毎日の、なんの変哲もない、当たり前のこと。必ずしもそれが「不幸」であるとも限りません。
水を運び、火をおこすだけで、都会生活の何倍も時間がかかります。だから物事はゆっくり進み、そのペースで生き、それはそれで事を満たしています。
反面、経済発展が進むケニアにおいて、こうした農村部に暮らす人々は、雇用や収入の機会に恵まれにくく、質素な生活とはいえ、子どもの学費や医療など、最低限のお金は必要。
今までの生活で良かったものが、高度成長の影響で、その恩恵を受けていなくともお金が必要な場面は増加し、その狭間で「貧困層」と位置づけられざるを得なくなってしまったのかもしれません。
私たちの生活は、ハイテク技術で一気に事が進み、その分同時にいろいろなことができ、ひとりがこなさなくてはならない仕事は昔に比べて俄然増えました。常に何かに追われているような、そんな暮らしぶり。でも、体も頭もひとつなのは変わりません。
「発展」が一概に良いかどうかは、よそ者の感覚ひとつで決めることはできません。
都会生活の感覚、便利を良しとする価値観、どうしてもここに引っ張ってしまいそうになることがありますが、幸せであるかどうかは本人たちが決めること。
外国人としてこの地にかかわるならば、私たちが本当にすべきことは、現場にいる人たちの声をきちんと聴く、きちんと見ることだと改めて感じました。
様々な思いがよぎる中、眼下に広がるケニアの大地の力を全身で感じ、挑戦も葛藤も喜びも全て受け入れていこうと、2015年、インディージョーンズばりの冒険はまだまだ続きます。
<生産担当:マリナ>