ケニア横断、お隣ウガンダいざゆかん!~前編





7月初旬のこと。

隣国ウガンダに行きが決まり、初のアフリカ大陸国境越えの準備が始まりました。

 

マチャコスの工房とオフィス間の徒歩20分圏内が毎日の生活空間。突然浮上したウガンダへの旅は、旅なんてステキな響きではなく、首都カンパラまで長距離バスで14時間。総移動距離670キロ!

 

夜が明ける前の薄暗い、うすら寒いナイロビ。荷物を抱えた乗客を乗せ、バスは一路北西へ。

 

1時間ほど走ると、山間に土地がひらけ、まだ霧がかった広大な景色が目に飛び込んできます。ここはグレートリフトバレー。ヨルダンからモザンビークまでを縦断する大地溝帯。威風堂々たる姿はいつ見ても美しく、周りのお土産屋さんではいそいそと準備が始まっていました。

 

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(壮大なグレートリフトバレー)

 

さらに進むこと1時間。

朝の太陽が湖面に反射するエレメンタイタ湖を見ながら、そのままバスはフラミンゴで有名な街、ナクルを抜けていきました。道沿いには傘のように開いたアカシアの木々がいくつも立ち、同時に早起きで疲れていた私の目はゆっくりと閉じ始めました。

 

午後になるに連れて入り込む日差しのぬくもり、反対側の窓から流れる心地よい風に揺れながら、たどり着いたのは紅茶の街ケリチョ。

 

ケニアは世界の紅茶生産量3位を誇り、きれいに高さのそろった紅茶畑で女性たちがかごを背負って摘み取る姿に、毎日工房で飲むチャイの故郷を感じつつ、バスはぐんぐん西へと進んでいきました。

 

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(きれいに整えられたケリチョの紅茶畑)

 

西の大きな街、キスム。ケニア第3の都市。

ここを過ぎれば一気に国境の街ブシアへと向かいます。とうもろこし畑や名前の分からない黄色い花、歩く人々はこの辺りに多いルオ族かなと思いながら、すでに8時間を経過している旅の中で、私は変わりゆくケニアの景色に、日々感じていた思いを重ねていました。

 

私は今、ここにいる。

ケニアと恋に落ちた、あの強烈な想いは、今までに経験したことがなかった感覚でした。細胞が活性化し、血が流れ、自分の輪郭がはっきりしてくる。

これが「生きている」ということなのだと。

 

その思いをもう一度胸に収め、窓にへばりつくようにしてケニアの景色を目に焼き付けていました。

 

日も傾き始めた午後4時半、バスはウガンダとの国境に到着。

 

歩いてウガンダ側へと入り、7月から値上がりした入国ビザ100ドルを覚悟していると、税関のおじさんは私のビザ履歴を見て、疑わしい目で私に質問してきました。

 

「君のケニアの滞在許可書は、あと1日で切れるんだね? ウガンダにはどれくらいいるつもりなんだね?」

 

「えっと、1週間程度なんですけど…。」

 

おじさんは私のパスポートを、後ろに座っていたボスらしき人に見せ、何やら相談しています。

 

やめてよ、ここで拒否とかなしよ…。

 

「1週間だけなんだな? オーケー、行っていいぞ。」

 

おじさんはウガンダへの入国スタンプを押し、パスポートを私に返しました。

 

ビビりな私はドキドキしながら100ドルを払おうとすると、

「いらないよ。さあ、行きな。」

 

え、いらないの?

あの、前の人、払ってたけど?

本当にいらないの? 大丈夫? 私、後から捕まったりしないでしょうね??

 

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(国境を越えたウガンダ側)

 

何だか理由は分からないものの、無料で無事にウガンダ入国を果たし、私は素知らぬ顔でバスへと戻りました。

 

やったー、100ドル節約できたぞー!

これでウガンダでおいしいものが食べられるー!

ビンボーマリナ、幸せっす! 

 

「ヘーイ、君、100ドル持ってるかな?」

 

内心にんまりしていたところ、振り返ると声の主は背の高いアメリカ人、年の頃20代。

 

「僕のお兄ちゃんが入国で100ドル必要なんだ。50ドル以上は受け付けてくれなくて困っているんだけど、100ドル、借りられないかな。」

 

拾う神いれば、持ってこうとする神もいるのか。

 

日本で知らない人に、一万円もポンと貸せるかといえば、そりゃ誰だって警戒する。

もしこの人が悪い人なら、私の100ドルはどうなる?

でもここは国境。本気で困っていたら、入国できずにどうにもならなくなる。

 

どーしよー、どーしよー。

 

ここは良きサマリア人になるべきなの?

それとも持ってないフリした方が安全なの?

 

どーしよー、どーしよー!!

 

考えたが早かったか、お財布を出したが早かったか、私は節約できた100ドルを貸すことにしました。カンパラに到着したら家族が100ドルを持って迎えに来るから、その時に返すという若き兄弟たちの言葉を信じて。

 

余計な心配を抱えた私を乗せたバスは、いざ最終目的地カンパラへと、ラストランが始まりました。

 

ケニアからの陸続き、ついさっきまで歩いていた人がケニア人からウガンダ人に変わり、だんだんと見慣れない広告や会社の名前が目につくようになると、スタンプの重みを実感し始めました。

 

すっかり日が落ちたウガンダの街並みを走っていると、左手にはビクトリア湖が広がり、そしてウガンダから始まるというナイル川を渡って、バスは終点カンパラへと到着。

 

私の100ドルで入国できた若きアメリカンブラザーズは、持ち金をかき集めて、きちんと返却してくれました。良きサマリア人になってよかったとほっとしながら、長旅の疲れを初ウガンダビールで癒やし、ぐっすりと眠りにつきました。

 

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ウガンダ滞在、一体どんな発見と冒険が待っているのだろうか。

 

(生産担当:マリナ)