尊敬する人は教科書の外 ~ガーナで出会った真の経営者~





皆さま、こんばんは。

マーケティング部のひかるです。

 

突然ですが、皆さまは「経営者」と聞くと

どういう方を想像されますか?

 

少し前まで、私は経営者というと大企業の社長や

創設者しか思い浮かびませんでした。

教科書に出たり、「プロジェクトX」に出るような

何かとてつもないことを成し遂げた人。

つまり経営とはその人達の持つ特別な力の様に

勝手に想像していました。

 

図らずも自らが経営者となったとき、

先人たちに習いたいと思って昔見た番組や

著名人の本を読み返したりしました。

ところがどの方もあまりに遠い存在であるため

読めば読むほど圧倒されてしまい、

自分には無理だと感じるばかり。

 

でも、よくよく考えたら、

著名人や教科書の人物でなくとも、

身近で立派に経営している人はたくさんいて、

私は既に多くのことを教わっていました。

  

今日はそんな尊敬する経営者の一人、

ガーナでお世話になったマーティンさんをご紹介します。

 

このブログでも何度か書いていますが、

私はアンバーアワーに入る前、青年海外協力隊員として

西アフリカのガーナに2年住んでいました。

 

ガーナの北部の田舎町にある小さな現地NGOに配属され

そこでマネージメントを手伝うのが任務。

当時27歳の私はもちろん経営を語れるような立場になく

こんな小娘に一体何ができるんだろうと不安でいっぱい。

そもそも、例え良いアイデアが生まれたとして

それを受け入れてもらえるか分かりませんでした。

 

 

 

そんな私の心配を払拭してくれたのが、

NGOの代表のマーティン・デリィさんでした。

大柄で背が高くて、民族衣装がとても似合う彼は

20代で設備の整っていない北部の街で

独りでNGOを立ち上げ、それから20年近く

組織を引っ張ってきた方です。

私は初めてお会いした日からすぐに好きになってしまい

限られた時間の中で彼からたくさん学ぼうと決めました。

(中央が代表のマーティン氏。

ガーナ北部の「スモック」という民族衣装をいつも着ています。)

 

2年の間、私は彼と数えきれないほど会話しました。

NGOについて、人事について、各スタッフの強み・弱み、

結婚とは、文化とは、アフリカの未来とは。

NGO立ち上げ当初の逸話。苦労話に笑い話。

そして、リーダーのあるべき姿について。

 

例えばある日のこと。

プロジェクトで重要なポジションを担っていたスタッフが

突然辞職しました。

代表が将来性を感じて大事に育ててきた女性だったので

彼が落ち込んでいるのではないかと心配して尋ねたら

チキンの骨を頬張りながら「うん、辞めたね」と

返されました。

 

「辞めてしまってプロジェクトは心配じゃないの?

せっかく育てていたのに、もったいなくないの?」と

質問攻めにすると、彼はランチを食べていた手を止め

私に正面から向き合い、こういいました。

 

「ひかる、辞めようとする人は引き留めない。

彼女は自分に合うと思う職を探せばいい。

そこで思う存分偉くなればいい。

そしていつかここを懐かしく思う日が来たら、

プロジェクトの一つでも回してくれるくらいに

なってて欲しい。それもいいだろう?」

 

また別の日。

みんなで知恵を合わせて書いた企画書が通らず、

清書を任されていた私が落ち込んでいたら、

「ひかる、今回は残念だった。

で、新しい案件を見つけたから、10分後に会議ね!」

といつもと変わらない笑顔で言ってきたマーティン。

 

小さな団体はどうしても浮き沈みが激しい。

常に資金繰りに追われ、企画書をひたすら申請し、

その間に人の出入りもあります。

糖尿病や高血圧などの生活習慣病も蔓延しているため

スタッフで亡くなる方も少なくありません。

 

そんな浮き沈みにめげず、常に前を向いて

次に向かって怯むことなく進んできたからこそ

ガーナ有数の現地NGOを育てることができたのだと

マーティンの隣にいて何度も感じました。

 

(マーティンといるときはいつも笑いが絶えません。

帰る前に、日本の情報雑誌(英語版)をプレゼント)

 

これぞ、真の経営者。

教科書には載っていない、私の尊敬する経営者。

 

日本に帰ってからしばらく連絡が途絶えてしまい

申し訳ない気持ちで久しぶりにメールを送ったら

「私と君の絆は深いから連絡がなくても

何も心配していなかったよ。

それより、新しいオフィスを建てようと思っていて

次に君がガーナに来るときまでに立てておくから

楽しみにしてるんだよ!」

とのこと。

 

ああ、彼はまた前を向いて

新しい挑戦をしているのだな、と

遠い日本でも刺激を受けた私でした。