スワヒリ語、その一文字が、いのちとり
ここケニアに来て1年が経つというのに、私のスワヒリ語は一向に上達の気配がありません。
悲しいかな、バンバン知識を吸収できる歳でもないし、ケニアの人々はポレポレ(ゆっくり)が基本なのに、話すスピードだけはやたら速くて、スワヒリ語で話しかけられても呆気にとられて目をパチクリするのが関の山。
完全に英語に甘える私のだらけぶりにより、よちよちスワヒリ語から未だに抜け出せずにいます。
スワヒリ語と言えば「ジャンボ!(こんにちは)」しか知らなかったのですが、実はジャンボは外国人に対してしか使わず、ケニア人同士では使わないと知って仰天。
おまけに「ハクナマタタ(=問題ないよ)」も、やや観光客向け。実際ケニアで使っている人は聞いたことがなく、みな「ハクナシダ」と言います。
えー、ライオンキングはハクナマタ~タ~って言ってたじゃん!
なんと、ジャンボもハクナマタタも、外国人向けの「お・も・て・な・し」だったのだ!
(お世話になったスワヒリ語の教科書や子ども用の本)
そんなケニアで好んで使われるのが、ジャンボならぬ「マンボ!」。
「どう、元気?」というカジュアルなニュアンスで、誰もが使う、実に親しみのあるあいさつ。「マンボ!」「ポア!(元気よ)」が交わせれば、もう友達。私はこの「マンボ~」という響きがが大好きで、あいさつだけは一丁前です。
隣国タンザニアはスワヒリ語を公用語のひとつとしており、ケニアの人々曰く「タンザニア人は正統なスワヒリ語を話す」そうです。
事実、ケニアでもスワヒリ文化が色濃く残る沿岸部のモンバサ以外、通常話されるスワヒリ語は大分崩れており、ケニア人がタンザニアでスワヒリ語を話すと顔をしかめられると言います。
そんなスワヒリ語を学び始めて間もない頃。
当時住んでいた家の近くにヒンドゥー教の僧院があり、そこで警備員をしているギルバートという小柄なお兄ちゃんがいました。彼はゲートの外壁に腰かけ、警備しているんだかボーっとしているんだかよく分からない様子で、いつも道ゆく人を眺めるのが仕事。
クラスに行くときの通学路なので、お得意のマンボなあいさつをしていたら、とある日呼び止められ、彼の食べていたウガリ(トウモロコシの粉を練ったケニアの主食)とケールの炒めものを「ほれ、食べな」と勧められ、言われるがままに一緒に立ち食いをしていました。
その日から、通り過ぎるたびに「ラフィキ!(友よ!)」と声をかけられ、軽く話をするようになり、早すぎてさっぱり分からないスワヒリ語を聞き流しながら、笑顔と握手を交わす仲になりました。
しかし、あまりにも私がスワヒリ語を理解していない状況を察したらしく、彼にとっては不得意な英語を混ぜながら、お互い何とか意思疎通を図っているものの、ときどきキョトンとする私に、頭を抱えるギルバート。
「ウメエレワ?(分かった?)」
「いいえ…あ、ワタシ、ワカラナイ。」
私の理解度なんぞ関係ない様子で、彼は興味深そうに話を続けました。
「ケニア人の女性はお金、お金ってうるさいんだよ。僕は君みたいな人がいい。僕はどうだい? 彼氏はいるのかい? 僕の家に一緒に行こう、明日は土曜日だし。」
分からないと意思表示をしたのに、何だかどんどん話が複雑になり、身をすり寄せて猛烈にアタックしてくるギルバート。今度は私が頭を抱えていると、彼はもう一度、ゆっくりこう言いました。
「ウ・メ・オ・レ・ワ?」
ウメオレワ…? ウメエレワ…?
どこかで聞いたことがあるような、ウメオレワ、ウメオレワ…。
おー、ウメオレワ!!
「ウメオレワ?」とは結婚しているか?との意味で、私は「オ」と「エ」を完全に聞き間違えていました。
どおりで。
結婚しているか→いいえ、と言ってしまっていたゆえ、どうやら恋のチャンスがあると思ったらしい。
といっても会って数回、ろくな会話もできなくて、恋もへったくりもないでしょに。
次の日の夕方、ちょうど僧院を通り過ぎた時、彼は帰り支度をしていました。
「マリ~ナ、ラフィキよ!さあ、一緒に帰ろう、ベッドに行こう!」
その提案、おかしいと思うんだけどね。
ギルバートはきょとんとした顔つきで、「来ないの? なんで? 君の家は、あ、ここなの? 何階? あ、僕が行こうか?」
ギルバート…。違うんだよ…。そういうことじゃなくてね…。
でも何だかとってもおかしい。単刀直入すぎて笑ってしまう。
ラフィキ。
友達と思ってくれているんだな。それはそれで、何だかありがたかった。
(初級クラス修了書授与。先生、上達してなくてごめんなさい)
あれから1年。
未だに私のスワヒリ語は「ウメエレワ」せず。
おまけに「ウメオレワ」もしてない、独り気ままな(⇐予定外)なケニアンライフを送っています。
(生産担当:マリナ)